「セーフティー・はーと」を始めるに当たって

連日,いろいろな事件・事故が発生しています。いろんなところで,海,山,川,空,電車の中でも。日本中,安全な場所はないと思われるほどです。本会は,各種災害の知識および技術の向上と普及により産業の発展および社会の福祉に貢献することとしています。私たち普及委員会では,セミナーや講演会を企画・実施してきましたが,事件・事故の発生が多岐にわたっていることから「専門家の目線から,地域住民や市民の目線にたった」企画も必要ではないかと感じています。そのためには,私たちから情報の発信をまず行い,見ていただいた方からご意見や要望を聞かせてもらう必要があるとの認識に立ち,メンバーが交代で日々の生活や事件・事故で感じたことをありのままに綴ってみようということになりました。


メンバーは大学の先生から企業や研究機関の研究者,企業の安全・保安の担当者等さまざまです。勝手ながら,ここでは,所属する団体とは離れて個人の立場で自由に発言します。また,本会の見解を表明しているわけではありません。皆様方の忌憚のないご意見・ご感想をお寄せ下さい。

セーフティー・はーと

第11号 タンク火災の消火戦術

2001年12月17日 11時46分

西 茂太郎(出光興産(株)安全環境室)
去る12月3日から8日まで米国テキサス州ボーモント市を石油連盟関係者16名と訪問しました。
当地のラマー大学の消火訓練場で、石油連盟が日本における導入を推進している大容量泡放水砲の実証試験を行ない一応の目的を達成することが出来ました。

第10号

2001年12月3日 11時44分

安全工学協会 会長 大島 榮次
安全に関する法規制については、対象となる危険物質を扱っている所にとっては直接的な関心事ではありますが、国際的にはかなり以前から、また我が国ではこの数年来、その考え方が変わりつつあります。

第9号 廃棄物問題の逼迫と安全工学の責任

2001年11月19日 11時43分

神奈川県産業技術総合研究所  若倉 正英
廃棄物の処理は長い間焼却と、海洋投棄や埋め立てという自然の浄化能力に依存してきたが、瀬戸内海上に浮かぶ「豊島」や所沢のダイオキシン問題などでその限界を露呈した。そして、行政もようやくのことで腰を上げた。

第8号 情報開示について思うこと

2001年11月5日 11時42分

野田市 平田勇夫
最近、PRTR法や情報公開法の施行を受けて、情報開示に関する論議が盛んである。
PRTR制度の仕組みは米国のTRI制度とほぼ同じと思われる。TRI制度は、米国の「緊急時計画及び市民の知る権利法」(Emergency Planning and Community Right-to-know Act)という法律に規定されている。

第7号 これからのリスク管理に必要な広範囲なリスクの把握

2001年10月15日 11時40分

(株)三菱総合研究所 安全科学研究本部   野口 和彦
~シュアティという概念の紹介~ 
最近の大きな自然災害による地域の危機や企業・組織の不祥事もからんだ危機の連続により、リスク管理の重要性の認識に関しては定着した感がある。

第6号 大災害

2001年10月1日 11時39分

<中村  順>
昨年、わが国では化学工場、火薬工場での大きな爆発事故を経験し、また比較的に工場災害の多い年であったように思う。

第5号 安全マニュアルの風化防止を

2001年9月7日 11時38分

<システム安全研究所 高木 伸夫>
世の中マニュアル社会である。業態に応じて多種多様なマニュアルが存在する。ファーストフードチェーンの多くでは注文したもののほかに、これはいかがですか、これもいかがですかとうるさいほどの同じ問い合わせに会う。

第4号 セーフティー・はーとによせて

2001年9月3日 11時37分

(2001年8月22日  西郷  武 )
昭和30年頃 横浜国立大学教授 北川徹三先生が安全工学の重要性を世に問うて すでに四十数年が経過した。

第3号 安全教育と安全情報

2001年8月20日 11時36分

横浜国立大学大学院工学研究院   小川輝繁
事故やトラブルの原因の大半は人間が係っているため、各事業所では安全教育を保安対策の重要な柱にしておられるように見受けられます。人の危険回避能力は知識と経験に裏打ちされており、さらにこれらを危険予知に生かすことが重要です。

第2号 安全との付き合い

2001年8月6日 11時30分

三菱化学㈱STRC 環境安全工学研究所 飯塚義明
「安全」と言う言葉と付き合って、ほぼ28年になる。安全技術開発を担当し始めた当時は、酸化プロセスの燃焼爆発、粉じん爆発の限界測定が主体であった。安全確保と製造コスト増という問題に最初に直面したのが、ある酸化プラントのプロセス変更であった。